タイトルが非常に印象的な楽曲「泥だんごの天才いたよね」。あいみょん自身インタビューで「(5歳の頃)ピアニカ極めていたかもです(笑)。あと、泥団子作ってました。ピカピカの。一つのことに夢中になっていました」と、語っています。
現代では、小学生でも”泥だんご”ではなく”iPad”を触っている時代。あいみょんはこの歌に、一体何を込めたのでしょうか。
ここでは、「泥だんごの天才いたよね」の歌詞について深堀りをしていきます!
目次
どんな曲?
まだ聴いたことがない人は…
まだ聴いたことがない人は、ぜひ一度実際の楽曲を聴いてから歌詞の意味をご覧ください!きっとあいみょんの世界観に引き込まれていくことでしょう。
出典:泥だんごの天才いたよね
楽曲詳細
リリース日&収録
2015年12月2日発売 インディーズ2ndアルバム「憎まれっ子世に憚る」
曲の長さ
4:15(イントロ 0:08)
視点
あいみょん自身
タイアップ
–
テーマ
この曲のテーマは、「大人へのメッセージ」です。
髪の毛を染めるような小学生じゃなくて、泥だらけになってお母さんに怒られるような子どもがもっと増えて欲しい。
そして、「もっと子どもに対して、たくさんのことを教えてあげようよ」という、あいみょんから現代の大人たちへのメッセージが込められています。
歌詞の意味を深堀り!
ここからは、「泥だんごの天才いたよね」の歌詞について(部分的に区切っていきながら)迫っていきたいと思います。
雑誌の切り抜きのような少女は〜
雑誌の切り抜きのような少女は
チュッパチャプスを加えて気取っているさ
でかめのサングラスはきっと使い方を知らない
隣には嫌な目をした奴と 大口叩く大物気取り
「どうよ私らイケてるでしょ」と言わんばかりの顔を見せる出典:「泥だんごの天才いたよね」作詞あいみょん
「デカ目のサングラスをしてオシャレに決め込んでいる子」「嫌な目をした子」「大口叩く大物気取り」という、イケイケの最先端をいっている女子3人組。
偏見ですが、ブランド物が好きそうな女子ですね。自分がイケてると周りに思わせる事が生きがいの人っていますよね。最近ではInstagramで、そういった投稿をして自己承認欲求を満たしている女性も多く見受けられます。
それが良いか悪いかは別として、どうしても目に入ってしまいます。
明らかに小学三年生〜
明らかに小学三年生 茶髪の髪を揺らしランドセル
背負う姿は可愛げのない高校生のようだ
隣には顔しかめる教師と
それに楯突くモンスターペアレント
何が何だかいつからこれが普通になってしまったのだろう決められた将来があるなんて 窮屈してるなあ
出典:「泥だんごの天才いたよね」作詞あいみょん
「茶髪のイケイケJS」「教師」「モンペ」の3者対決。
現代の小学校はこれが割と普通なのでしょうか。小学校の教員もなかなか大変そうです…
「決められた将来があるなんて 窮屈してるなあ」という歌詞は、様々な角度からみることが出来ますが、一つは「見た目だけに囚われてしまっている子供に育てられてしまった小学生に対して、もっと他に教えるべきことがあったんじゃないか」というメッセージではないでしょうか。狭い視野で育てられた子供は、将来の道も狭まってしまいある程度決められた道を進まざるを得ない。そんな環境って、子供にとっては非常に窮屈ですよね。
小学生で茶髪に染めて、イケイケな人生を送っていることが一概に悪いということではないですが、やはりもっと大切な事がきっとあるんじゃないかと思います。
あいみょんは、こういったある意味”イケてる少女たち”を例に挙げて、皆さんにも考えて欲しいというメッセージではないかと感じます。
小さな頃から気取ってばかりいること〜
小さな頃から気取ってばかりいること
教えてほしくないのさ 服を汚して
髪にガムつけて 泥だんごを作ろう出典:「泥だんごの天才いたよね」作詞あいみょん
周りの大人達は、子供に”気取ること”を教えるんじゃなくて、もっと別のことを教えてあげて欲しい。例えば「服を汚して髪にガムつけて泥だんごを作る」とか。
現代の小学生はもう砂場で泥だんごを作ることってなくなってしまったんでしょうか?服を汚して家に帰って、お母さんに怒られるなんてこともないのでしょうか?
”気取った生き方”というのは、ある意味大人たちのエゴなのではないでしょうか。子供にしか出来ない、子供だからこそ出来ることというのを、大人がもっと考えていく必要がありますね。
電車に座り込むセーラー服〜
電車に座り込むセーラー服 パンツギリギリに風が吹く
中年親父に「こっち見んな」と野次を飛ばし笑うドンキにたかる若者集団 夜間限定で「最強」と名乗る
昼間は親にペコペコしちゃって
いい子ちゃんをしてんのだろう家で素直になれないなんて どうかしてるなあ
出典:「泥だんごの天才いたよね」作詞あいみょん
パンツが見えそうになって近くにいたおじさんに野次を飛ばすJK。
親には頭が上がらないけれど、夜に街へ出ると瞬時に”最強”になる若者。
家では素直な自分になれず、親であっても何かを隠してしまう子どもたち。それを吐き出すように外で悪さをする子ども。そんな構図が見えてきます。
女子高生はどこか大人(特におじさん)を小馬鹿にする印象があります(偏見?)。でも、これって、やっぱりどうやって教育されてきたか、どうやって生きてきたかで決まると思うんです。彼女たちにとって、(それが普通であるという認識のもと)悪気があってやっていることではないでしょう。
これも先程の小学生の問題と似たような側面がありますね。
若いうちに教えてあげられること〜
若いうちに教えてあげられること伝えてほしい
だから 目をそらさずに 決して怒らずに
声をかけてあげよう出典:「泥だんごの天才いたよね」作詞あいみょん
若いうちだからこそ、伝えていかなければいけないことはたくさんあるし、それを伝えていって欲しい。
子どもが間違いを犯した時には、見て見ぬ振りをするんじゃなく、怒るのではなく、優しく声をかけてあげよう。
都心は特に、人の子どもには無関心で注意をしない大人が多い印象です。変に関わると、逆に怒られたりしそうですし、面倒事に書き込まれかねないですし…
でも、やっぱり周りの大人達が気持ちを込めて接すれば、子どもや若い人たちもきっと分かってくれるし、嬉しいはず。
戦争の話をしてあげよう〜
戦争の話をしてあげよう 地震の話をしてあげよう
お金の話をしてあげよう 人生の話をしてあげよう出典:「泥だんごの天才いたよね」作詞あいみょん
「戦争」「地震」「お金」「人生」の話しを大人から子どもにしてあげよう。
この4つ、大人でも説明が出来なかったり苦手な人が多いのではないでしょうか。大人が理解できなければ、子どもは何の知識のないまま同じような大人になってしまいますよね。
世界で起きている戦争や地震。義務教育で教えてくれないマネーリテラシー。将来どうやって生きていくのか、どうやってお金を稼ぐのか、どんな仕事につくのかなどの人生の話し。どれも大切で欠かせないものばかりです。
でも、これらの話しってなかなか聞く機会や教わる機会ってあまりないですよね。
何も知らずに誰かを傷つけて〜
何も知らずに誰かを傷つけて塞ぎこむ子が減るように
目をそらさずに 決して怒らずに 声をかけてあげよう出典:「泥だんごの天才いたよね」作詞あいみょん
”知らない”ことで、相手や周りを傷つけてしまうことがないように、たくさん声をかけてたくさん教えてあげよう。
”知っている”ということだけで生きていく上での武器になることはたくさんあります。でも、それらを自分だけで身につけていくことは困難です。
”知らない”ということは、ある意味自覚できない事が多いので、”知らない”という事を知ってもらうことも大切なのかもしれません。
まとめ
頑張れ大人!
気取ることがかっこいいと思わせてしまったのは全部大人の責任。大人がもっと子どもに寄り添って色んな事を教えてあげれば、子どもたちもきっと応えてくれるはず!
子どもの教育をがんじがらめにするとか、そういうことではない。たくさん色んな事を教えてあげて、ダメなことはしっかり注意して威厳を見せることが出来る大人になろう!
そんなメッセージを、まだ20代のあいみょんからもらった気がしました。
おまけ:あいみょんの言葉
わりと頭の中で妄想しながら作っているので、物語の情景を頭に描きつつ書いている気がします。ストーリーはあるかもしれないです。例えば映画や本から着想を得ることもありますが、友だちと話しているときとか電車に乗っているときにキョロキョロして、それで、知らないカップルを見たりすると、わりとフレーズが出てきたりします。『憎まれっ子世に憚る』だと4曲目の「泥だんごの天才いたよね」なんか、電車でたまたま見かけた小学生くらいの女の子がチュッパチャプス舐めながら足組んでいる姿が様になっていて、そこから妄想が膨らんでできました(笑)。
出典:RealSound