等身大のあいみょんの思いがダイレクトに伝わってくる楽曲「Tower of the Sun」。あいみょんが今まで歩んできた道は決して平坦ではなかったんだということが伝わる、AIMメンバーには特に心に突き刺さる名曲です。
今回はそんな「Tower of the Sun」の歌詞について深堀りをしていきたいと思います!
目次
どんな曲?
まだ聴いたことがない人は…
出典:AIMYON TOUR 2019 -SIXTH SENSE STORY- IN YOKOHAMA ARENA
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楽曲詳細
リリース日&収録
2020年7月8日 発売 「AIMYON TOUR 2019 -SIXTH SENSE STORY- IN YOKOHAMA ARENA」Blu-ray&DVD
※2022年1月現在、CDには収録されていません
曲の長さ
–
視点
あいみょん自身
タイアップ
–
テーマ
この曲のテーマは「岡本太郎へのリスペクト・あいみょんの強い思い」です。
過去に直面したつらい過去を乗り越えて、”みんな”を太陽の塔に連れていくんだというあいみょんの強い思いを感じることが出来る名曲です。
歌詞の意味を深堀り!
ここからは、「Tower of the Sun」の歌詞について(部分的に区切っていきながら)迫っていきたいと思います。
私があの人みたいにチヤホヤされる〜
私があの人みたいにチヤホヤされる
天才やったら良かったのにな
良くも 悪くも
人生楽しいって思えるかもしれない
そう言ったって私は私でしかないから
ただひたすらに私として私を生きるだけ
tower of the sun 見ててよ出典:「Tower of the Sun」作詞あいみょん
私が岡本太郎みたいに天才だったらみんなにチヤホヤされて、それなりに楽しい人生を送れたのかもしれない。でも、そんなことを考えたって結局は自分は自分でしかない。自分を生きるしかないんだ。
少し冷たい風に揺られるコスモスに〜
少し冷たい風に揺られるコスモスに
身体をうずめた20歳(はたち)のあの日は
酸いも 甘いも それなりの毎日を
それなりに過ごしてた
少しの反骨精神と好奇心で
うまく物事を交わしてゆく
tower of the sun 見ててよ出典:「Tower of the Sun」作詞あいみょん
酸いも甘いもそれなりに経験していた20歳のあの日。屈辱的な言葉を言われた事もあったが、そんな言葉には絶対に屈しないという反骨精神と色んなことに興味関心が向いた好奇心を持って、うまくかわしていけた。
tower of the sun〜
tower of the sun
tower of the sun
tower of the sun いつか必ずtower of the sun
tower of the sun
tower of the sun の下で出典:「Tower of the Sun」作詞あいみょん
いつか必ず太陽の塔の下に”みんな”を連れていきたい。
正直音楽の世界なんかひと握りやから〜
正直音楽の世界なんかひと握りやから
あわよくばって感じで続けてきた
どうも こうも
嫌いやったギターに愛着も湧くし
全然カッコよくないのに
売れてるバンドの悪口言って
ディスって泣いて悔しくて
tower of the sun を見上げたよ出典:「Tower of the Sun」作詞あいみょん
”音楽の世界”という厳しい世界だから、あわよくば成功できるかもという気持ちで続けてきた。最初は嫌いだったギターも次第に愛着が湧いてきた。自分は全く売れないのに、”なんで全然かっこよくもないバンドが売れてるんだ”ってディスりながら悔し涙を流した日もあった。
同級生や先生はずっと笑ってた〜
同級生や先生はずっと笑ってた
この夢を何度も何度も笑ってたな
あれも これも
お前はホンマになんも出来へんなって
ただ父ちゃんと母ちゃんは
やりたいことをやればいいって
言ってくれた
tower of the sun 聞いたかい?出典:「Tower of the Sun」作詞あいみょん
「お前はホンマになんも出来へんな」と、同級生や先生に何度も夢を笑われた。でも、父や母は「やりたいとこをやればいい」と言ってくれた。
歌うこと 歌い続けること〜
(中略)
歌うこと 歌い続けること
tower of the sun 見ててよ
そしていつか必ず(中略)
ほらみんなここは一体どこだい?
どこで歌ってるんだい出典:「Tower of the Sun」作詞あいみょん
歌い続けること。それが自分にできること。そして、いつか必ず太陽の塔の下で歌いたい。
「ほらみんなここは一体どこだい?どこで歌ってるんだい」
「ほらみんなここは一体どこだい?どこで歌ってるんだい」という最後の歌詞がなんかシビレます。これは、今まで自分をバカにしてきた人たちに対して、「ほら、もうこんなすごいところでライブやってるんやで」という圧倒的勝利のセリフですね。ぜひ太陽の塔の下で、この歌詞を歌ってほしいです!
まとめ
あいみょんはすげーんだぞ!
当時、後ろ指を指していた同級生や「お前でもCD出せるんやな」とか言った先生をマウントでフルボッコにする爽快な歌詞でした。というのは”半分”冗談ですが、あいみょんが抱えていた思いを強く感じることが出来る名曲ですね。
語り口調の部分もあいみょんの曲では珍しく、非常に貴重ですね(他には「生きていたんだよな」くらいかと)。
同じく”岡本太郎”をテーマにした楽曲「今日の芸術」もおすすめなので、一度ぜひ聴いてみてください!
おまけ:あいみょんの言葉
〈太陽の塔〉の下でライブをしたいと言い始めたのは、メジャーデビューをした頃からですね。
実際に「tower of the sun」という楽曲もあるんですけど、なぜか自分の中で岡本太郎という存在を音楽と結び付けてきたところはありました。あの場所で歌ってみたいと思わされるパワーがあるというか。岡本太郎が何かしでかしたあの場所で私も何かやってみたいと思うところはすごくありますね。〈太陽の塔〉を初めて見たときは「ほんまに存在してたんや!」という驚きでいっぱいでした。
クレヨンしんちゃんの映画で初めて知ったのですが、実際にあるんやという感覚。まさに「なんだ、これは!」っていう(笑)。あぁ、ここは自分にとっても今後、特別になりそうな気がするという出会いみたいなものを感じたんです。もちろん、この特集をきっかけに太郎さんのことをいろんな人に知ってほしいという気持ちはあるんですけど、別に無理しなくていいよ~というところもあります(笑)。私自身、自ら知ろうと思ったことではなかったというか、ふとした瞬間にひょこっと現れた存在だったので。やっぱり出会いが大事なんですよね。だから、この表紙と目が合って手に取ったのであれば、それを出会いと思ってほしいですね。ていうか、これは目が合うでしょう(笑)。
出典:『Casa BRUTUS』6月号
──「太陽の塔の下で歌うこと」を夢として挙げるほどに岡本太郎さんに影響を受けているそうですね。岡本太郎さんを知ったきっかけはなんだったんですか?
2001年に公開された「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」っていう映画ですね。この映画は高度経済成長期だった昭和30~40年を描いたシーンが多くて、大阪万博がその象徴として登場するんです。その中で太陽の塔を見たときになぜか強烈に惹かれて。映画を観た頃、私は小学生だったんですけど、図工の授業でピカソと並んで岡本太郎さんのことを習って、大阪の吹田に太陽の塔が実在することを知ったんです。岡本太郎さんの話から少しずれちゃうんですけど、この映画からは音楽的な影響も受けてるんですよね。挿入歌に吉田拓郎さんの「今日までそして明日から」が使われていて、それで吉田拓郎さんを好きになったり、同じく挿入歌のベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」のレコードを大人になってからオークションで落としたり。ほんまに「オトナ帝国の逆襲」は自分にとって大きな映画ですね。
──岡本太郎さんからはどんな影響を受けたんですか?
岡本太郎さんには人生観を学んだと思っています。作品ももちろん好きなんですけど、彼が残した言葉に魅力を感じます。誰かと話していても「岡本太郎はこう言ってましたよ」って岡本太郎さんの言葉を挙げてしまうぐらい彼の考え方が好きで。最初は岡本太郎さんの言葉で自分の人生動かされて大丈夫なのかなと不安になったりしたんですけど、今ではそれでいいんだと思っています。養女にした敏子さんとの関係とかも知れば知るほど面白いなと思うし、岡本太郎さんって本当に人間として掘りがいがある人なので、これだけ偉大な人であることをみんなに伝えたいんです。私と同年代ぐらいの人って岡本太郎さんのことをそんなに知らないんですよ。みんな「岡本太郎と言えば『太陽の塔』とか『芸術は爆発だ』の人でしょ?」って返してくるんですけど、それだけじゃないことを教えてあげたい。今の若い子たちに響く言葉もたくさん残されてるので。岡本太郎さんは私が生まれた翌年、1996年に亡くなってるんですけど、そういう人が自分が生きている平成という時代にいたことは素晴らしいなと思っています。ほんまに影響を与えてもらい続けている存在です。
出典:音楽ナタリー
「最初に読んだのは『青春ピカソ』だったかな。私、憧れの人や大好きな人のことはいっぱい知りたくなってしまうんですよね。世の中には面白い人がたくさんいて、そうした方たちの言動や存在が私の中に0.5%ずつぐらい血となって流れている。自分がビニール袋だとしたら、そうやって、いろんな要素を破れそうなぐらいギッシリ詰めこんでいきたいんです」
出典:ダ・ヴィンチニュース
-あいみょんが直接的に《太陽の塔〉 を歌った曲が1曲だけありますね。
音源には収録していない「tower of th e sun」ですね。まんま「太陽の塔」ってタイトルにするのもダサいから、英語名をウィキペディアで調べた気がします(笑)。曲をつくったのは上京してすぐの頃。お金もないし、知名度も全くない。自信だけはあるけれど、そううまくはいかないと感じていた時期でもありました。 冒頭の「私があの人みたいにチヤホヤされる天才やったらよかったのにな」という歌詞は、まんま太郎さんのことです。 まあこの私のやっかみは太郎さん自身の言葉に覆されることになるんですが (笑) 、褒められたい、天才って言われたいって思いを、当時はものすごく強く持っていたんです。
-歌詞の中には《太陽の塔〉を見上げながら「同級生や先生はずっと笑ってたこの夢を何度も何度も笑ってたな」といったほとばしるような反骨精神が顔を出しているように思います。
ほぼ実体験ですね。中高生の頃、音楽をやりたいと思っていることを後ろ指差されていたことだとか、インディーズデビューしていた成人式のとき、同窓会で先生に「お前CD出したんやってな、お前でもそんなんできんねんな」って言われて悔しかったこととかが、メジャーデビューが近づいて、自信と不安が入り交じるときに思い出されてきて……。そういう気持ちをぶつけた曲です。
-いよいよメジャーデビューする、絶対に売れてやる!という気持ちを〈太陽の塔〉に重ねたのはどうしてですか?
すごい悔しい思いもしていた反面、今よりずーっと少ない人数とはいえファンの方たちはいて、「諦めないでがんばれ」と、応援してくださってもいた。この方たちのために何ができるだろう? って思ったときに、「〈太陽の塔〉の下でライブすること」はいちばんわかりやすい目標だったんだと思います。10代の頃なんて武道館の場所すら知らなかったし(笑)。 自分がいちばん頻繁に通っていて、いちばんのパワースポットで、そこで誰もライブしたことがない場所といったら〈太陽の塔〉だったんですよね。「tower of the sun 見ててよ tower of the sun の下で」という歌詞は、いつかファンのコたちを、自分の大好きな〈太陽の塔〉に連れてってあげたいなという気持ちそのもの。ほかに家族に対する思いも込めたりしているとても大事な曲で、音源化していないのはそれも理由ですね。今さら改めてアレンジしたい、というふうに思えないんです。
-〈太陽の塔〉の下でライブをしたいという気持ちは今もありますか?
もちろんいまだに思いますけど、やれなくてもかまわない。気がついたらたどり着けていたら、それでいいかな。でももしできるなら、女性スタッフには大阪万博みたいに70年代のコンパニオンの格好をさせたい!(笑)
出典:Casa BRUTUS『岡本太郎とあいみょん』
出典:Casa BRUTUS「『太陽の塔とあいみょん』特別映像を公開!」
あいみょんさんが岡本太郎を好きだっていうことは、歌詞から推測していたのですが、本当だったんですね。
私は、万博の時にリアルな小学生で、太陽の塔を見たい、ってずっと思っていました。
今度、あいみょんさんの甲子園ライブに行くことが出来るので、太陽の塔の見学予約もしました。
まさに歌詞の通り、あいみょんさんが、太陽の塔へ連れて行ってくれます。
感無量ですね。